日本の怪獣は、大きくて強いから、かっこいいのである! と、ひとことで断言するのも難なので、SF創作的になぜ必要なのか、簡単にかいてみる。 SF創作はどーでもいい、怪獣映画の話をよみたい、という方は、すぐ下の文章はとばして、一気にページの下の方へとお進みください(笑)。 そもそも怪獣映画は、まぎれもなくSFの1分野である。 構造論的にいえば、かつての神話のドラゴンや神が、空想科学の衣をかぶって映像化されたものが怪獣映画であるようにおもう。怪獣出現の理由は、多くの場合、当時の最先端の科学技術によるのである。たとえばゴジラは、第五福竜丸が被爆した年に発表されている。 そもそもSFは、かつての民話やファンタジーが科学の衣をかぶったものといえる。科学の発達した現代において説得力のあるファンタジーを描こうと思えば、科学的手法で作品世界を構成せざるをえないのである。むろん、狭義の意味でのファンタジーは別だが。 中でも、怪獣映画という分野は、怪獣という存在にSFとしての特性が集約されているため、以上のようなSFの構造的特色が如実に現れていて興味ぶかい。現用兵器がいっさい通用しないなど、SFとしての限界点、いいかえれば、SFとファンタジーとのせめぎあいがいまなお見られる点で、重要なSF分野といわねばなるまい。 そうした、ある意味で<SFの生きた化石>とでもいうべき特徴を継承しつつ、さまざまなSF要素をとりこんでいるため、多角的にSF創作の参考にできると解せよう。作品によっては、最高のハードSFと評価されているものすらあるのである! 日本の怪獣は巨大で、軍をあいてどってすら互角に戦えるところに個性がある。 日本固有の文化性がかいまみられ、日本人にしか創れないSF作品群であるという点からも、学ぶところが大きいとおもう。キリスト教的観念にもとづいて創造されているハリウッドの怪物たちと対比して研究することも有益であろう。 それでは。どのあたりの作品が特にSF創作にやくだつのか、また、面白いのか、清水的にみていこう。 なお、空科傭兵団のほかの記事もそうだが、 これらの論評はあくまで清水の個人的な印象によるものであり、なんら公的なものではない点に注意していただきたい。 |
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リュート「映画をみたら、さっそく怪獣の絵をかいてみましょ♪」 |