ゴジラvsキングギドラ

空科傭兵団象徴獣・獣鬼兵ロロン
↑キングギドラじゃなくて、空科傭兵団のマスコット怪獣ロロンです。

「ゴジラVSキングギドラ」(1991年、東宝)

 良くも悪くも、後期平成ゴジラ体系の方向性を決定づけた作品である。理屈ぬきの娯楽SF作品として非常に出来が良く、だれがみても楽しめると思う。
物語
 ゴジラの出生の秘密をさぐっている若手ライター、寺沢青年が主人公。
 寺沢は、都内某所にて、ある企業トップ、新堂会長と面会していた。ゴジラ出生に関係する重大な秘密をききだそうというのだ。新堂会長は戦後日本の繁栄を築きあげた人物であり、かつての帝国軍人であった。

 太平洋戦争末期。南洋のラゴス島が、若き新堂の最後の戦場だった。日本軍守備隊が次々と玉砕するなか、どうして新堂の部隊だけが生還できたのか? 寺沢の予想どおり、そこには、驚愕すべき秘密がかくされていた。
 新堂の部隊が圧倒的な米軍の包囲から脱出できたのは、実は、巨大な恐竜が日本軍を助けてくれたからだというのだ!
 この情報から、寺沢は、ゴジラ出生にまつわる自身の仮説をより強固なものとする。ラゴス島の恐竜が、戦後、アメリカの水爆実験によりゴジラへと変異した! というのが、彼の仮説である。

 一方。突然、富士山麓に巨大な飛行物体が現れる。中から現れたのは、数百年後からやってきたという未来人だった。

 未来人は、日本の未来のために、歴史を操作し、ゴジラを消滅させたいと日本政府に申し出る。未来の世界では、ゴジラのために日本が滅亡の危機に瀕しているという。
 そして未来人たちは、まだ執筆すらされていない、寺沢青年の本を携えていた。かれの仮説は正しかったのだ!

 寺沢らは、未来人やアンドロイドとともにタイムマシンにのりこみ、太平洋戦争当時のラゴス島へとでむく。予想どおりそこには、ゴジラの原種<ゴジラザウルス>がいた。
 一同はタイムマシンの物質転送機を使い、ゴジラザウルスをベーリング海に転送する。これで、ゴジラザウルスは1954年に水爆を浴びることがなくなり、ゴジラは誕生しないこととなる。おもわくどおり、1992年の現代において、ゴジラは消滅する。
 しかし寺沢たちは、未来人の女性が、小さな生物を島に放していたのにきづかなかった。それこそは、キングギドラの遺伝子をもつ人工生物だったのだ。

 確かに、ゴジラは消滅した。だが、同時に、福岡にキングギドラが出現した!! キングギドラは引力光線を乱射し、日本全土を爆撃する。自衛隊も政府も、うつ手がなかった。

 未来人は、日本の将来のためなどにやってきたわけではなかったのだ。彼らのひめたる陰謀とは!? 果たしてゴジラは、ほんとうに消滅してしまったのか?!

特撮的みどころ
 タイムマシン、太平洋戦争、アンドロイドやレーザー銃。いろいろなSF要素がたくさん入っていて、おもしろい。オモチャ箱をひっくりかえしたかのような賑やかさがあって、とても楽しい映画だ。
 ゴジラ誕生の秘密がはじめて描かれたという意味で、ゴジラ史上にもつ意義も大きい。この映画によりゴジラがより強化し、全長は100メートルになっている。ここでゴジラの代が替わったとされ、以降のゴジラは4代目と数えられることが多い。
 タイムマシンがでてくるので、タイムパラドクスがどうのとか、細かいコトをいう奴等がいる。しかし、面白ければいいのだ。ゴジラがスパイラル熱線を吐き散らし、キングギドラの引力光線が福岡や四日市を壊滅させ、航空自衛隊のF−15を撃墜する。そういう場面をみているだけでも胸がおどるではないか! 細かいSF設定にこだわらず、単純に娯楽としてみよう! 

 ゴジラがはじめてあの大技<体内放射>をみせたのはビオランテ戦だが、本作ではより派手になっていてかっこいい。カラダに絡みついたキングギドラを、体表から全方向に発生する衝撃波で弾き飛ばすのである!! あまりにかっこいいので、拙作「追跡者」でも何回もでてくる(笑)
 このように、毎回あたらしい技を繰り出してくれるのが平成ゴジラの特徴で、格闘ゲームのような楽しみ方もできる。
 ギドラの引力光線と、スパイラル放射能熱線の応酬など、光線技の美しさをじっくりと堪能できる。この作品から、怪獣映画の光線は一段違った世界へと足を踏みいれたと思う。光学合成マニアにはたまらない。華麗なる光線がとびかう夢のような映像を実現したといえるだろう。

 自衛隊の92式メーサー戦車もおすすめ。札幌市でゴジラを攻撃する架空の戦車で、青い光線を発射する。メーサービームの音響効果がゴジラvsビオランテと違っていたり、芸が細かい。実は毎回、光線のかたちや音響が変更されている。注意してみよう。平成ゴジラ体系における対ゴジラSF兵器の常連だけあって、よく作りこまれている。

SF創作的みどころ
 この、なんでもありの大冒険映画としての精神は、そのままスペースオペラのタマシイに通じるものがある。多少、設定が破綻していても、色々なSF的仕掛けや活劇が次々に展開されて、みているものを楽しませてくれる。こうかくと設定が悪いようだが、そんなことはない。ゴジラ体系をひとつのSF作品としてみた場合、過去にさかのぼってその出生の秘密を解き明かすというのは、実にSFらしい物語展開といえるだろう。これは、SFでしかできないことである。

 また、ヒロインのエミー・カノーなど、キャラクターの個性もきわだっている。昨今のSFにおいては、女性が男性顔負けの活躍をすることが多い。この映画は、そうしたSFの模範ともいえる。

 ゴジラと人間の交流が描かれている点も見逃せない。かつて、ゴジラザウルスに助けられた企業の重役が、戦後数十年を経て、再会するのである。しかしゴジラザウルスは、ゴジラへと変貌をとげていた。新堂会長が万感の思いをこめて、ゴジラをみつめる場面がなんとも印象的である。異なる生物、それもゴジラのような巨大な怪獣と人間が、心を通わせることが可能なのだろうか。優れてSF的な主題であるといえるだろう。

 魅力的な冒険と魅力的なキャラクター、この精神は、基本的に宇宙冒険ものであるスペースオペラなどを執筆するさいに、忘れてはならないものである。
 また、SF的な世界においては、光線、閃光などの映像表現はきわめて重要である。この映画からは、そうした点も学べる。
 メカキングギドラの照準サイトは、絵・動きとあいまって、メカとしての機能も説明していた(みているだけでも、砲撃の照準は視線と同調しているんだろうなーとか、いろいろ考えられる)。文章で表現するにしても、映像的な表現は大切である。


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