ゴジラxモスラxメカゴジラ 東京SOS


2003年、東宝


 ゴジラの骨とDNAからメカゴジラを創り出す! という素晴らしいSF設定で人気を博した「ゴジラxメカゴジラ」の続編にして完結編。

 自衛隊が生み出した究極の対ゴジラ兵器「3式機龍」にかける男たちの情熱を、丁寧なミリタリー描写で描いた娯楽作である。中期平成VSシリーズのような、王道をいく怪獣バトル映画といえるだろう。

 今回は、前作の機龍パイロットは抜けて、機龍の整備士である青年が主人公。彼の機龍にかける情熱は人一倍のものがあったが、昨年のゴジラとの戦いで負った損傷の修復作業は遅々として進まない。
 そんな中、彼は「小美人」と遭遇する。(小美人=モスラを象徴する精霊のような小人)
 これ以上、ゴジラの骨から創り出された兵器を運用して死者の魂をもてあそぶというなら、モスラが人類の敵に回る、というのだ。
 「生命は、定められた時の中にこそあるべし」−−あくまで機龍の廃棄を主張する小美人や一部官僚たち。だが、太平洋では米国の原潜がゴジラに襲われ、海上自衛隊の防衛ラインが突破され、刻一刻とゴジラ上陸の脅威が迫ってきていた。
 ゴジラ、モスラ、機龍、三大怪獣の戦いが東京を焦土と化す!

 物語としては、「大怪獣総攻撃」や「ゴジラXメカゴジラ」ようなヒネリはなく、実に正統派の怪獣対決映画である。
 しかし、ゴジラにモスラが押しまくられる中で、なかなか出撃できない機龍の描写、そしてついに出撃! といった燃える展開、親のためにがんばって戦うモスラ幼虫などなど、話をもりあげる工夫がよい。
 近年、怪獣バトルは2ラウンド制だったが、今回は1回だけの戦いを丁寧に描いており、上映時間に見合った構成をとっている点も評価したい。
 もっとも、本音をいえば、併映のハム太郎を削除して、もう少し長い上映時間の中でキャラ描写を掘り下げてほしくもある。  

特撮的みどころ
 自衛隊のメカ描写が素晴らしい!
 まず、オープニングの空戦からして、ガメラにおける戦闘機描写に勝るとも劣らない迫真の描写であった。米軍が最初にモスラを発見して報告、そして自衛隊がスクランブル。燃える展開である。
「目標を視認……航空機ではない!」などというプロっぽい台詞には魂をゆさぶられる。
 ヒコーキ好きとしては、あれだけの戦闘機描写をみせられると、それだけで興奮してしまう。
 <ゴジラvsキングギドラ>における、バキュンバキュンという効果音でサイドワインダーを撃つF15(笑)の描写からすれば、隔世の感がある。(vsキングギドラは最愛のゴジラ作品のひとつだが、軍事好きとして、あれだけはいただけない)

 また、前作ではその性質をじゅうぶんに描写しきれなかった88式SSM-1対艦ミサイルも、ちゃんと、その射程の長さを描写しており、かっこよかった。

 そう、なぜかウルトラなどでは、ミサイルを怪獣の目前から撃っているが、このSSM−1にしても、静岡から東京のゴジラを狙い撃ちするくらいの射程はあるわけで。
 本作のように、怪獣が見えないくらい遠距離から発射→六本木ヒルズのはるか上空をかけぬけていく大量のミサイル群→時間をおいて、やっとゴジラに命中、という対艦ミサイルの長い飛翔過程がきちんと描かれているというのは嬉しいものである。

 護衛艦の主砲やアスロック・ランチャーなども、実物の作動過程をていねいに撮影しており、素晴らしい。また、水中シーンで、次々と落下してくるアスロック弾をかわすゴジラの映像も、斬新であった。

 機龍がらみでは、前作以上のミサイル弾幕が嬉しい。とくに中盤、高層ビルの背後からドカドカ連射するシーンはものすごい迫力である。
 今回のランチャーにはVLS(垂直発射装置)も装備されているので、前回以上の弾幕が、上空からもゴジラに降りそそぐという物すごさ。
 近接戦闘では、スパイラル・クロウが素敵。ドリル状にした掌を、ゴジラに刺してから回転させるだなんて…キョウアクで良い(笑)。

 ちゃんと、ノックダウンされた機龍が起き上がるとき、首の付け根あたりからジェット噴射しているなど、細部のメカ描写も素晴らしい。前作では、倒れたらどうやっておき上がるんだ、という疑問があった。
 前作では生かしきれていなかった、あの長いシッポもちゃんと戦闘に役立っていた。この長い尾は、他のメカゴジラとは違う、機龍の魅力のひとつなので、これは特に重要な描写だったとおもう。

 モスラの飛翔シーンも、幻想的な美しさである。夕焼けの中を飛行するモスラのシーンなどは、これまでにない映像美だったといえる。また、上空から迫るモスラを見上げるゴジラをアオリで撮った1カットは、完成されつくした怪獣絵画を思わせる出来であった。
 平成VSシリーズのモスラでは生物感が今イチであったが、脚などが細かく動き、その点も克服されている。

SF創作的みどころ
 肝心の物語の方は……最初みたときは、いまひとつノリきれなかった。
 途中、肉親を捜して主人公が街をさまようシーンが、戦闘のノリを削いでいたせいもあろうが、一番気になったのは、モスラが本件に絡む動機がまるで語られていないということ。

 「死者の魂に触れてはならない、生命を人間がもてあそんではいけない」というテーマ性は重厚であり、骨太なシナリオだったとは思うのだが、インファント島のモスラがなぜわざわざ日本にやってくるのかがよく分からぬ。
 モスラは、小美人が攫われたり、自分のタマゴがどこかに漂着してしまったら動き出すというインファントの守護神怪獣ではなかったか? それとも今回は、平成ガメラのように、地球全体の守護神なのか?
 怪獣映画では、意外と「お約束」で流しがちなのだが、やはり名作といわれる怪獣映画では、怪獣の行動の動機もキッチリ解説しているのである。

 あと、前作では冒頭などでゴジラの強さが示されていたが、今回はどうも最初からやられっぱなしという印象が否めない。前作開幕のメーサー車戦のように、映画の最初のほうで、「ゴジラの強大さ」を見せてほしかった。

 それに、中盤以降のモスラ幼虫がらみの描写が、ほとんど「モスラ対ゴジラ」(1964年)と同様というのはいかがなものか。ビデオで同作品を見ている人間にとっては、映像的な驚きがなかった。特撮の技術そのものはよいだけに、斬新な発想がのぞまれるところである。幼虫が生まれるときに「**だわ!」と言われても、今さらゴジラファンは驚かない(笑)。

 しかし、二回目。わたしは二回目をみて、おすすめ怪獣映画に追加することを決めた。
 満場の観客のなかで、一般の親子連れの会話を小耳にはさみつつ、かれらの視点で映画をみると……これが実に、燃えるエイガなのである!!

 となりに座っていた親子は、小美人すら知らないで本作を見ていた(!)ようだが、徐々に日本に迫ってくるゴジラの脅威、そして子供を守って戦うモスラ成虫の戦闘シーンで、かなり身をのりだしていた。
「お母さんが子供をかばったんだね」と、若い母親が娘に説明していたので気づいたのだが、怪獣の親子愛の描写が、実に見事であった。そうか、そういう視点で見る映画なのだな、これは。とわたしは発見してしまった。(ふつう最初に気づくと思う…)
 首相が機龍出撃の決断を下すシーンも良い。かなり待たされただけに、その出撃シーンの燃えることといったら。

 実際、観客動員数は、この時期の他の映画の中ではかなり健闘していて、上位第三位であるらしい(2004年1月現在)。客が入っているということは、一般の人にとってはオモシロイということなのだろう。
 考えてみれば、「モスラ対ゴジラ」に似ている、という批判は、一般客には関係ないのであって、マニアックすぎる視点かもしれない。
 そういう意味で、本作は、むしろ怪獣初心者にもお勧めである。
 世界観は、機龍の続編であるが同時に初代モスラの続編だったり、カメーバなど他の怪獣も存在しているという、かなりマニアックな設定なのだが。

 そう、途中で、カメーバの死体が出てきたのは良かった。
 カメーバというのは、もともとゴジラ映画の怪獣ではなく、「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」(東宝、1970年)にでてきた怪獣である。マイナーだがかっこいい奴である。
 あの一連のシーンは、ゴジラの他にも様々な怪獣が日本を襲っているという、この機龍シリーズの世界観を端的に示していた。
 このカメーバのように、説得力のある「絵」で、端的に世界観を描写する技術は、SFの世界観描写において大事な技術である。

 惜しむらくは、初代ゴジラ(の骨)と戦う別個体のゴジラ、という興味深い設定、そして、死者の魂を兵器にしてしまう人類の罪深さ、などをセリフに頼らず、ちゃんとした絵で見せきれていない、ということ。
 もしかしたら、今回上陸してきたゴジラは、今は機龍になってしまっている初代ゴジラの同族、あるいは子供だったのかもしれない。親子で戦わねばならぬとしたら……色々と面白い解釈のできる話だけに、その点が惜しかった。

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表紙へGクラッシャー!!
2004.1.13.