男たちの大和/YAMATO

 2005年、日本・東映


 
   かつて、日本は、世界第三位といわれる最強の海軍を誇っていた。その象徴が、日本のみならず世界最大にして最強といわれた、戦艦大和である。
 「男たちの大和」は、大和に乗り込んだ少年兵や下士官の視点から、大和の強さや美しさ、そして悲劇性を語る作品である。

 大和は、当時最高の技術で作られ、戦後もその技術は日本の高度成長を支えた。
 しかし、大和が開戦とほぼ同時に完成したとき、真珠湾攻撃や、マレー沖海戦に象徴されるように、すでに時代は、大艦巨砲主義から航空主兵へと推移していたのである。
 戦艦どうしの海戦ならば、圧倒的といえただろうに、生まれた時代を間違えたばかりに、最後は水上特攻のさきがけとなり、300機以上の米艦載機にめった打ちにされてしまう。大和の悲劇性は、まさにそこにある。

 本作は、戦闘のかっこよさではなく、そうした悲劇の側面をじつによく表現しており、見る者の心を打つ。

 物語は、現代の視点から始まる。九州・坊の岬沖300メートルの深海に沈む、大和の実写映像を経て、大和に乗っていたという亡き父の面影を探る女性が、九州を訪れ、父の慰霊のために、大和の沈没地点を訪れようとするのである。

 彼女の頼みを引き受けたのは、寡黙な老猟師だった。道中、猟師・神尾は、かつて自分が大和に乗っていたときの体験を語り始める。

 当時、大日本帝国海軍の「連合艦隊」といえば、一般の日本人、特に、少年たちの憧れの的であった。ほとんどのコドモたちは、おもだった軍艦の名前を諳んじていたという。そして、日本は戦争に勝つと信じていた。まず、冒頭から、こうした時代の空気がちゃんと表現されていて、興味深い。

 神尾も、このときまだ10代後半、現代で言えば高校生程度の少年であったが、特別年少兵として、憧れの大和に乗艦したのである。
 しかし、彼を待っていたのは、過酷な訓練、そして、地獄のようなレイテ、沖縄特攻の戦場だった……。

 要するに本作は大和を題材とした戦争映画であるが、戦闘シーンは少なく、少年兵の視点で戦艦大和を眺め、下士官との交流、母親や恋人との悲劇的な別れを中心に、実に「泣かせる」物語となっている。

 ワタシが劇場で見たときも、右隣に老婆二人が座っており、上映前から「お兄さんが戦死しなければ戦後もっと楽だったのにねえ」などと話していて、私は密かに警戒(?)していたのだが……
 案の定、劇中、母親が少年兵を抱きしめて「死んだらいけん!」などと言うシーンなどで、「本当に、そうだよねえ」などと呟きながらすすり泣いているので、私までも泣けてきた。かつての大戦を単なる歴史事実としてではなく、皮膚感覚として捉えるという良い体験をしたと思う、この映画は劇場で見るべき映画といえるだろう。
 実際、上映中、すすり泣きの声が多く聞こえた。こういう映画は他にない。

 少年水兵の目からみた厳しい訓練や、下士官による過酷な体罰(有名な精神注入棒が!)などの場面は、生活感があって興味深い。
 なお、本作では体罰が否定的に描かれているが、ただのいじめではなく、兵に対する教育のため行っていた例もあったことは付記しておく(坂井三郎「続・大空のサムライ」でも触れられている)。

 また、主人公らが配置されるのが25ミリ機銃座だというのも、戦闘の悲惨さを強調することに成功した要因だろう。
 なにしろ、機銃座は、ろくな防御もなく、空襲時、敵の爆撃にじかにさらされる場所である。機銃掃射を受けただけでも、即死は免れないというのに、爆撃を受けては、肉片が飛び、血しぶきが撒き散らされる地獄絵図となることは明らかで、本作でも、その凄惨な様相がよく表現されていて、大迫力である。

 とくに最後の戦闘では、もうやめてくれ! と言いたくなるほどに、執拗に米艦載機が空襲を繰り返す中での戦いが描かれる。

 レイテ海戦で「武蔵」を撃沈した際、米軍は、大和型戦艦の設計の優秀さ、その耐久力の高さを思い知らされた。そこで、米軍は、大和を攻撃するさいには、まず機銃座を徹底的に潰し、次に、艦の片側に、魚雷や爆弾を集中させ、傾斜復元を不能にさせる戦術をとったのである。

 この戦闘シーンの迫力は、これまでの日本映画にはみられなかったものである。機銃を撃ちまくって突入してくる米艦載機をアップで捉えた映像は、高速で荒々しく画像がブレており、ドキュメンタリーのような凄みが有る。

 このとき、戦友が次々と倒れる中、最後まで銃座に取り付き、「うおおお、まだまだァ!」と、弾倉をかかえて猛然と米軍機を撃ちまくるのが、神尾の上官である内田兵曹(中村獅堂)だ。
 この内田と、森脇は、互いに柔道で競いあう親友で、この下士官ふたりの友情も感動的に描かれている。

 内田は、レイテで片目を負傷して入院するのだが、沖縄特攻を前に、「お前だけ行かせられるか」とばかりに、大和にこっそり乗り込むのである。体罰を受ける神尾らを、「兵隊なぐって戦争に勝てるんか!」と、かばうのも彼である。

 また、彼が入院中、呉市は、米軍機の空襲を受けるのだが、このとき彼は、病室から松葉杖を空に向け、「ちくしょおお!」と、機関銃のようにして叫ぶのだ。戦いたいのに戦えない、戦士として悔しい、そういう感情をよく表現した名シーンである。

 一般に、軍隊を支えるのは下士官であるとよく言われる。この内田のような男は、そうした下士官の理想像といえるのではなかろうか? 広島弁が、かれの不器用で真っ直ぐな性格をよく表現しており、いいんだなあ。お気に入りのキャラクターである。

 それにしても米軍の無差別空襲はひどい。なぜ民間人を機銃掃射するのだろうか。原爆投下シーンとともに、米軍への怒りを感じる場面である。
 とくに、呉の空襲シーンは、美しくのどかな瀬戸内海の情景が際立つだけに、その残酷さがよく目立つ。

 さて、このように、話、キャラ、特撮ともに高く評価してよいと思うのだが、欠点がないわけではない。
 サマール沖海戦で、大和が米空母ガンビアベイを撃沈したときの描写が一切ないのはどういうわけであろうか。
 大和は、その世界最大の46センチ砲で本来の目標である敵艦を砲撃する機会はほとんどなかった。その唯一の例外が、サマール沖海戦である。

 この戦いで、大和が空母部隊に遭遇した際、乗員たちは「天佑だ!」とばかりに武人としての喜びにふるえ、主砲でガンビアベイや米駆逐艦などに100発以上も撃ちまくり、撃沈するのである。ここは、大和の、最初にして最後の対艦砲戦なのだから、きっちり描写して欲しかった。

 また、戦闘日誌05年11月19日で触れたとおり、本作では、広島の尾道にて、大和前半部が実物大セット(!)で再現されている。

 大和は全長263メートルもある巨艦である。東京駅なみの大きさだ。せっかくだから、セットを生かし、艦上などをあちこち走り回るようなシーンをいれて、もっと、この史上最大の戦艦の巨大さを表現してほしかった感はある。

 現代日本の若者(筆者も若者だがw)は、情けないことに、大東亜戦争で日本とアメリカが戦ったことすら知らないものがいるという。そうした人々が、こうした映画を見て過去の歴史を学ぶのはとても意義深いことだと思う。

 三龍戦騎RPG的な視点からみれば、

 まず、公式リプレイ(予定)登場予定の蘇龍戦艦「玄武」のイメージを掴むために、本作は必見といえる。戦艦という巨大な存在を端的に映像で確認できるのである。

 また、そもそも三龍の世界では、海戦が非常に多く発生する。それも、中世の海賊同士のような戦いではなく、本作のような、対空戦闘、砲撃戦が主である。そういう意味からもおすすめ。
 レーダーなしでの目視による対空射撃が、いかに当てづらいものか、「男たちの大和」は、丁寧に描写している。判定値−4はダテではないのだ。

 なお、対空用に、日本海軍の戦艦は、「三式弾」を装備していた。これは空中で広範囲に炸裂する砲弾で、貫通力はないが、航空機の編隊を叩き落したり、飛行場を爆撃するのに向いていた砲弾である。本作でも発砲シーンがみられるが、ちょっと描写が地味に過ぎる感はある。

 少年兵たちが戦うという点でも三龍世界に近いものがあるが、異なるのは、共榮軍では、あまり悲壮感はない、ということ。

 三龍共榮軍は、組織的な作戦は得意でないにしろ、戦力としては、かなり充実しており、進攻作戦には向かないが、防御には十分である。だからこそ中立地帯が緩衝用に設定されたといえる。
 であるから、航空機の援護もなしで空母部隊に立ち向かわねばならなかった大和の悲劇性とは比べるべくもない。ただ、アマミツヨでも、個々の戦闘では、そうした局面があってもおかしくはない。シナリオのネタとしては、負け戦のほうが、ドラマを盛り上げやすいといえる。また、決して優勢というわけではないしね。

 三龍帝国軍には、体罰はあるのだろうか。
 単語には日本軍っぽいものはあるわけだが(笑)、アカマツ百騎隊をみてもわかるとおり、近代的な軍というよりも、中世の騎士団や封建領主に近いイメージである。各ツカサの性格にもよるだろうが、全員が全員、旧海軍のバッター制裁(新兵のお尻は常に制裁による内出血で青黒かったという)なみの体罰を容認するとも思えない。そもそも、日本海軍でも、士官は兵たちのバッター制裁を公に認めていたわけではないそうだ。
 作品世界からしても、体罰はない、としても問題ないだろう。まあ、軍隊に体罰はつきものという見方もあるし、兵舎内ではイジメなどもありそうではある(笑)。

 そして――「男たちの大和」の核心といえる、戦うことの意義。これについては、劇中でも、出撃前夜に様々な議論をしていたように、アラガミ師たちにとっても、色々な考えがあるように思う。セッションで語る必要はないが、本作をみて、自分のキャラクターがどういう思いで戦場に赴くのか考えておくと、よりキャラクターの深みを増すといえるだろう。

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Copyright MikeShimizu 2006.1.6