キング・コング

 2005年、ユニバーサル映画


 
   1933年の原作映画を、ロードオブザリング三部作のピーター・ジャクソン監督が、思い入れたっぷりにリメイクした作品。上映時間は3時間を超えるが、その長さを感じさせない堂々たるA級モンスター映画となっている。

 そもそも、怪獣やモンスターが登場する映画には、B級のものと、A級のものとがある。その相違は、なんといっても物語性にあるだろう。ただ怪物が暴れるだけの映画は、B級どまりである。
 しかし、本作は、派手なVFX場面ばかりでなく、豊かな主題と物語性をもっており、A級モンスターフィルムといって差し支えないだろう。

 物語は原典に忠実であるらしく、戦前の、大恐慌時代のニューヨークから語られる。
 まず、前半部分のキャラクター描写が実に丁寧で、野心に満ちているがカネのない映画監督、失業した女優といった主要人物の個性が描かれる。

 この映画監督がまた、どうもジャクソン監督本人のイメージが重なっているらしく、本作では悪役ではあるものの、魅力的なキャラクターである。
 プライドの高い野心家であり、常に映画に対する情熱を捨てない。中盤以降、スタッフが続々と怪物の餌食となってもフィルムを守ろうとし、挙句、コングをNYに拉致するにまで至る、その熱意。見ていて清々しくある。

 そして、一発逆転を夢見た監督に従い、一同は、古ぼけた蒸気船にあわてて乗船して出航……頼りとなるのは、監督がもっている怪しげな地図だけ。海図にもない不吉な島、スカル・アイランドが目的地なのだ。

 このあたりの導入は、まあ私もつい最近TRPGのシナリオに拝借させてもらった気もするが(笑)、やはり冒険SFものの定番、というか原点に近い作品であるだけあって、胸が躍る。日本の作品で、こうしたワクワク感のある導入をみせてくれる作品というと、「のび太の恐竜」や「海底鬼岩城」あたりしか思いつくものはない。

 もう、貨物船ベンチャー号からして、実にオンボロで生活臭があって、三龍でPCがよくのっているシンテツ貨物船のイメージそのまんまなのである(ワタシ的に)。こういう危なっかしい感じ、冒険SFらしくて実に良い。

 また、時代が1930年代というのが、まだ地球に未知の場所があった時代であって、効果的である。
 それを支える美術も見事で、当時のニューヨークの町並みや雑踏が、雰囲気たっぷりである。これがほとんど、デジタルやセットだというのだから驚きだ。
 群集には、ロードオブザリング三部作で、大軍の兵士一人ひとりに人格を与えて個別にシミュレートした(!)、例の「マッシヴ」とかいうソフトが使われているようである。恐るべしウェタ社。

   中盤、スカルアイランド到着後は、見せ場の連続。まず、ドクロや死体の並ぶ、槍の林立した不気味な原住民の村、そして巨大な遺跡群が観客の度肝をぬく。
 そして、凶暴な原住民の襲撃。おそらく彼らは、島の過酷な環境で暮しているうちにこうなってしまったのであろう(笑)。正直、指輪物語のオークより恐怖感が有る。交渉の余地ナシというかんじが、殺伐としていて良い。

 ここで、スタッフを救う船長のもっている拳銃が、コルトなどではなく、かのドイツの名銃・ルガーP08だというのがまた、ドラマ性を感じさせるのである。流石に、分かっている監督であるピータージャクソン。

 拉致されたアンが生贄となり、やっとコングの登場となる。モンスターが登場するまでの「タメ」の大事さを教えられる展開である。怪物が早く映画に登場すれば面白い映画になるというわけではない。

 後の戦闘シーンでもそうだが、コングの手に握られた女優の視点の映像が、物凄い迫力である。目が回りそうといおうか、振り回されたり投げ出されたり、恐竜に噛まれそうになったり、よく生きているものだ。

 中盤以後、アン・ダロウとコングが次第に心を通わせていき、これが終盤の、悲劇的な結末へと「効いて」くるのだが、コングの、目の表情、その演技が、実に見事である。

 この過酷な島で、長年戦ってきて、とうとう一族の最後の一頭となってしまった(推定)コングの悲哀や、アンに対する愛情、そういったものを、すべて目で表現している。デジタル技術と、コング役の俳優の演技力の成果であろう。ゴラム役でならしただけのことはある。

 これがTRPGなら、大変なことである。なにしろ台詞がないNPCなのだ。GMにそうとうな実力が要求される。

 コングとアンの二人が、島のガケの上から、遥かな水平線と密林を見下ろす夕焼けのシーンは、後半の高層ビル上での朝焼けの場面とあいまって、特撮史に残る名場面であろう。
 また、終盤、NYに拉致されたコングが、ついにアンと再会し、人っ子ひとりいない夜の公園の凍りついた池の上で静かに遊ぶシーンも、美しく、感動的ですらある。

 しかし感動だけでなく、ちゃんと悪趣味なまでにクリーチャー襲撃場面を用意しているあたりが、このエイガの良いところだ。

 上陸部隊を襲う、アパトサウルス? の大暴走。しかも場所が谷間である。逃げ場がないではないか。
 やっと離脱したとおもったら、ユタラプトル似の「ベナートサウルス」が襲ってくる。それを、トンプソンSMGの連射で撃退! これだけでももうお腹一杯だ。

 ……体長5メートル級の恐竜を、対人火器であるSMGで撃退できる世界なのね。まあ、普通はそうであろう。しかし、三龍戦騎RPGでは、このクラスの恐竜は対徹甲防御力と徹甲ダメージをもっているから、SMGはハネ返されるし、噛み付かれたら人間などイチコロである(笑)

 そのあともコングに追い散らされた一同が、巨大昆虫群の谷間に落とされたりと、スバラシイ絵が続出。
 とくに、沼地で巨大な環形動物のような生物にニュルニュルとスタッフが食われたり、50cmぐらいの巨大コオロギ群や、巨大サソリ型の怪物群にわらわらと襲われたりする場面が、とても良い。実に良い。

 そしてなんといっても、中盤の、コングとV−REXの大格闘!

 これも特撮史に残る一大絵巻といってよいであろう。15メートル級の、ティラノサウルスなみの肉食恐竜の襲撃から、アンを守るためにコングが戦うのである。実に、燃える展開である。

 しかも、V−REXは1頭だけでなく、「一家で」襲ってくるのである。嗚呼! なんという恐ろしい光景であろう。キズナ6レベル相当の恐竜が3頭も同時攻撃してくるなんて! 死ぬ、絶対死ぬ。

 しかし、コングの戦いぶりはまさしく獅子奮迅、首なげでV−REXを大地に叩きつけ、肉を噛み千切り、岩石で頭を殴り潰す。挙句の果て、もつれあって谷底に落下しつつも格闘を続け、落下するアンを足で受け止めたりしつつも勇戦するのである。こりゃあ、アンならずとも惚れるわ。

 それにしても、獣脚類は、サルと違って、脚がああいうかたちだから、木登りが苦手なのだなあ……これは盲点だった。テイリュウ乗りのPCは、木登りが得意な敵に遭遇した場合、なるべく平地で戦うようにしよう。

 まあ、原典のこの格闘シーンがなければ、キングコング対ゴジラや、ウルトラマンといった作品も生まれなかったであろう。その原典のリメイクにふさわしい、凄絶な迫力に満ちた場面である。

 なお、これらの恐竜は、古生物学にとらわれず自由に創造した、とのことで、オリジナル名称が与えられている。だが、意外にもそれは、リアリティがあるといえる。
 古生物学者の知っている恐竜は6,500万年前までのもので、それ以後を、隔絶された島で生き延びてきた恐竜は、当然、進化の結果、われわれが知っているものとは変容しているはずだからである。

 とはいえ、あのサイズの飛行生物で、オトナ二人を支えるのは無理だと思うが(笑)。

 終盤以降は、一挙にアンとコングの恋の悲劇的な結末へとなだれこんでいく。
 NYでの、コングの戸惑いと、それゆえの暴れっぷりも見事である。野生動物を一方的に連れてきて殺してしまう、人間の傲慢さがよく表現されている。

 ラストの、高層ビルでの有名な場面も、最新技術で迫力たっぷりに描かれている。熱線を吐ければ、あんな戦闘機ぐらい……やはり、怪獣とはなりえない、動物の哀しさであろう。

 話はそれるが、怪獣論的考察。

 「怪獣」というものについて考察しはじめた当初、私もご他聞にもれず、西洋のモンスターは単純に殺されるだけで、日本の怪獣とは全然違うもの、と考えていた。しかし、動物の特性をもつコングのようなキャラクターにおいては、日本の怪獣同様、「人類文明への反証」としての性質をもっているとみていいだろう。

 日本の怪獣は、そこから先が異なるのだ、と大方の怪獣マニアは言うだろう。「怪獣」は、通常兵器に対抗しうる能力をもつという点において。

 そしてそれは、日本人独特の自然観が反映された結果である、という言説をよく耳にする。

 しかし……それは違うのではないか?

 通常兵器が通じないという特性は、結果としてみると現在日本の「怪獣」の特徴となっているが、考えてみるとこれは、初代ゴジラの、「核兵器で誕生した生物だから、通常兵器が通用しない」という設定に由来しているのではなかろうか。

 つまり、初代ゴジラの特性を、なんとな〜く、その後の数多の日本の怪獣は引き継いでいる、というように思えるのだ。

 勿論、その設定が好まれた理由は、日本人の自然観に由来しているのかもしれないが、考えてみると、環境保護が進んでいるのは日本よりむしろ欧州であって、単純に、自然観から怪獣とモンスターの相違を導くことはできないのではないか。

 日本の怪獣の特性は、宗教観、自然観からストレートに生み出されたものではなく、あくまで、初代ゴジラという記念碑的作品の影響により、いってみれば「反射的」、もっといえば「偶然」に培われた面が大きいのではなかろうか。現に、ラドン、バランといった、動物に近い怪獣は、通常兵器で倒されてしまっているわけである。

 ただまあ、依然として、大型爬虫類系の怪獣が多い、という特性はあるな……

 ともかく、この考えによると、従来、日本怪獣の特徴とされてきた「通常兵器が効かない」という性質は、必ずしも「怪獣」に必要不可欠な特徴ではない、ということになりそうである。

   そして、このキング・コングを見れば分かるように、モンスターに自然の表象としての意義をもたせた作劇の場合、余計に、日本怪獣の特性が「人類文明への反証」にあるという言説は説得力をもたなくなる。

 では、アラガミの竜紋などの設定は変えるべきなのだろうか。

 まあ、そこまで必要とは思わない。通常兵器が効かないという性質が、たとえ偶然、日本怪獣の特性となったとしても、その特性により、より、自然への畏敬、人類文明への反証であるという怪獣の特徴が強調されていることは間違いないのである。
 逆に、人類の兵器で簡単にモンスターを倒せる、といつでも決めてかかるのは、西洋的といえるかもしれない。

 結論としては、日本怪獣と西洋モンスターでは、従来いわれてきたほどの根本的な相違はないものと考える。しかし、日本怪獣らしくするための設定考証というのは、厳然として存在している、といえるだろう。

 ……いちいちエイガを見るたびにこんなことを考える人間も珍しいかもしれないな。

 余談だが、ブロードウェイ近辺で、金髪女性を見かけるたびに、アンと勘違いして突進してワシ掴みにするコングの姿に、金髪好きの友人・倭克氏の姿がダブって仕方が無かった。金髪は身を滅ぼすという好例であろう。


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Copyright MikeShimizu 2006.1.10