資料用画像集 三龍戦騎RPGルールブック三ニ型で使われた写真を、総天然色でご覧いただこうとおもい、絵ではないが、ここに掲載。平成14年7月15日から数日、沖縄に旅行したときに100枚ぐらい撮影した写真のうち幾つかを、フォトショップで軽く加工したもの。資料用なので重くて申し訳ない。 守礼門。首里城公園にて。これは使わなかった写真。このあたりは中国建築の影響が強いという。 三龍帝國の各ツカサ国の関所にも、こんな門があって、旅人を出迎えるのであろう。 三龍帝國や共榮圏を覆う、熱帯雨林。まあPCにとっては日常といえる光景だ。 世界背景編の扉に使った。実は、識名園(しきなえん)という庭園のなかにある林である。この日は夏の暑い日で、使い捨てカメラでも南国らしく撮れたとおもう。椰子のほか、バナナがたくさん自生している一画があって面白かった。 上級ツカサの大御殿。 のつもりで、みればわかるとおり首里城の正殿。第二次大戦で焼失したが、最近になって再建されたもの。中にあがって見学も出来る(今はどうか知らない)。精密に再現されていて、琉球王国の雰囲気ばつぐんである。中国の紫禁城などの建築様式と、日本建築の様式がいりまじっているそうだ。紫禁城ほどは大きくないが、色調が派手で、好みである。 手前には「小龍柱」が映っている。階の手前に、もっと大きい石の大龍柱が一対あるが、ここにはうつっていない。 ここにみられる龍の爪は、3〜4本である。琉球王国の王は、中国皇帝に地位を認めてもらう冊封関係にあったため、皇帝に遠慮して、その権威の象徴たる五爪龍よりも数を少なくしたのだ、といわれる。「三龍戦騎」という題名もここに由来する。五爪は、最上級の天魔か、大マガツのみに許されるのだ。よくみるとシーサーも彫刻されているから、目立たないように、ルールブックでは縮小して掲載した(笑)。 これは使わなかった。正殿の前には、御庭(うなー)が広がっている。ここでかつて重要な儀式が執り行われたという。首里城には天守閣が存在せず、ほかの日本の城郭とはだいぶ形式が異なる。中世、海洋国家として、広く東南アジア各国と交易していた琉球王国ならではである。このごった煮感がイイ! 大龍柱。これは使わなかった。世界にも例をみない様式の石像龍である。 海城京の城壁。 じつは首里城の城壁。首里城公園で撮影。部分的には建築当時のものも残っている。公園内は歩いてみるとかなり広く、城内に入ると、周囲の街なみも見えなくなり、琉球王朝の雰囲気が肌で感じられる気がした。 背景のビル街、路上人影、電信柱は消した。上級ツカサの御殿(うどぅん)や、三龍帝國宮殿のイメージである。 海城京など、市街地によくあるふつうの公園。恐竜や星覇たちのいこいの場である。 本当は、首里城の近くの龍潭(りゅうたん)にかかる天女橋。台風一過の直後だったので、池の水が濁っているのだろう。蒸し暑かった記憶がある。 中級ツカサの御殿(ウドゥン)のイメージである。アカマツ百騎長がいつもヒドイ命令をPCに下すのもだいたいここ。池は、タッキリュウ類の水浴場である。 識名園で撮影。琉球王室の別邸とされていた御殿で、けっこう大きい。内部も見学できる。家具までは置かれていなかったので、生活感はあまり無かった記憶がある。背景のアンテナ類は消したが、水面には反射像がのこっている。台風の直後で、手前の池は増水していたようだ。 識名園は、南国風かつ和風という、じつに沖縄らしい庭園で、とても趣深かった。あまり観光客がこないのか、空いていて撮影も気兼ねなく行えた。 高床式倉庫。高温多湿で、水害の多い共榮圏ではよく普及している。たまに星覇やハベルが中に入って寝ていることがあり注意が必要。下にある甕は、雨水を貯める天水甕で、海城京から離れた島嶼部では、真水不足を補うため、よくみかけられる。淡水精製用天魂をやとっている海域では、このかぎりではないが。 写真は「琉球村」という伝統建築を保存してある施設で撮影したもの。さすがにふつうに歩いていて見かけられるものではなかった。那覇からバスで1時間ぐらいかかるのでけっこう疲れた記憶がある。旧い民家もたくさんあってかなり撮影した。 |